◆◆◆ 2035 ★ 書道家オグラユウコさん。来訪 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.7.6.

彼女が、ミクシに、区展に出展した話を書いて、それを読んだあたしは、すぐに出向く。

マルイ11階は、ギャラリーから徒歩で五-六分。

オレンジのが彼女の作品である。

アタシは、以前拝見した、彼女の自由な作風に心惹かれていたため、帰宅後、時間あったらギャラリーにも足を運ぶように、ミクシに書く。

彼女と会うのは、彼女の展覧会以来であり、推定2-3年経っていたかもしれない。

ハンドル名は覚えてたんだけどね、本名忘れてたよ。

彼女は、あの後(私が、書道のセンセイについたらどうかと助言したあと)、イロイロと探してはいるが、なかなか見つからない。

と話してくれた。

お金もかかるからね。

イロイロな書道の展覧会には応募しているのだそうだ。

アタシは、石川 九楊(いしかわ きゅうよう、男性、1945年(昭和20年)1月13日 - )先生の書道の展覧会が素晴らしかったことを話した。

偶然にも、アタシが論文を書いている書道の論文の審査員である。

まあ、問題意識を持ち、どうなるべきなのかを考えているという人は多くないということになる。

彼が主催する、【樂書会】という会の展示は、本当に愉しさに溢れていて、見ている私まで嬉しくなった。

書道の展覧会は、足を運ぶたびに、苦しくなる。

書いている人も苦しい。見るほうも苦しい。

一生懸命に作りすぎて、自由さとか、愉しさよりも、苦痛というか、苦悩の方が見えてしまう。

書とは、本来は、自分の日記であるとか、手紙などのために存在したものだったのではないか。

もしくは、公文を記すであるとか、帳簿であるとかである。

あるいは、書物や経典などのように自分や、高僧の主張や信念を書き残す。

そういった、目的に応じた記録という手段の一つだったのだと思う。

それが、人の作品を全く同じに書写するとか、読めない文字に固執するとか、本来の目的とは違う場所に行ってしまった人多数。

何がどうなってしまったのか、忘心とはこのことだと思う。

そういう話をいくつかして、縮墨の話も少しする。

彼女は東京都美術館で開かれていたナントカいう公募展にも入選したと話してくれた。

オジャラ「入選は普通。賞取らなきゃ、出す意味ないでしょ。賞はね、審査員の先生の弟子にならないと取れないの。お金も少しかかるかもしれない。そういう世界なの。」

オグラ「・・・・・」

オジャラ「書は書いていて楽しいの?」

オグラ「ハイ」

オジャラ「それはヨカッタ。」

会の賞というのは、実は持ちまわりということも多い。会への参加、盛り上げ、手伝い、貢献度。

そういったものも加味し、作品にも頑張りが感じられたときに頂けるものなのだ。

以前、権威ある展覧会の賞の数が、審査員に自動的に配分されていた話で、どこぞの団体が話題になっていた。

2013年日展、次の年全日展、、、、だったっけな。

記事を読み直す。

偽名で出した作品がいくつも大臣の賞をとっていたという話か。

偽名で出すというのがね、よくわからないけど。

賞金を偽名で貰った人が、使っていたとかそういうことなんだろうか。

よくわからん。

まあ、書道に限らないと思うけどね。

会というのは、会を維持・存続してゆかなければならないからね。

そのために、画壇というのは、会の中心となる人が、今までの会員をなるべく留意させ、新しく参加した人の誘致などを行い続けることになる。

おじゃら画廊

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