◆◆◆ 2005 ★ アンディーウォーホール-2 ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送
(あとはいつでも見れますよん)
2014.6.1. ウォーホールの話で、もう一つ気になることは、死のシリーズ。 マリリンモンローの顔を描いたのは、彼女が急死した直後。 ケネディ夫人が、人生最大の困難にあったときのポートレートを元にした作品。 死刑を行う、電気椅子を版画にした作品。 車が事故にあった直後の写真を元にした作品。 など、死を見つめる作品群を制作。 大衆の関心が、どのような場所にあるのかを、彼はよく研究していたということになる。 |
昔描いた、雑誌表紙イラストの一枚。 ケータイで、マリリンのポスターを落札という瞬間。 7000ドル、約70万円というのは相場だと思う。 今は、もっと人気がでているかもしれない。 |
彼は、移民としてアメリカに育ち、14歳で工場勤務の父親と死に別れる。 絵の師でもある母は、缶にペイントした花瓶や、自作の小品などを近所の金持ちの家に売り歩いたお金も、生活の足しにしていたのだという。 ウォーホールが母親から絵を習った話は、前にも聞いたことがあった。 そういう域でもないが、、、、。 彼の猫のイラストは、とても好きだ。 私がカラーインクで絵を描くようになったのも、彼の、ピンクやブルーの猫の絵からインスパイアされたといっても過言ではないと思う。 まとまった色がパーンと広がり、その色の中に滲む線も美しい。 彼の技法については知らなかったが、私には転写は必要がないし、同じ絵を繰り返し描く必要もない。 正確には、似たような絵ばかり描いていることは否定しないが、それは転写ではない。 ということになる。 ピカソやマティスだって、同じモデルの絵を何枚も素描しているが、別段トレースすることはなかったと思う。 それは、何枚作っても、同じような絵に仕上がる腕があるからである。 どの絵も失敗することはないし、作品として鑑賞に堪えうる域まで昇華されている。 ホンモノの画家の絵というのは、そういう域でなければならないし、それでも、量産する必要がある場合、リトグラフや銅版画などに原画を作り、それを印刷するという方法が取られた。 |
|
ウォーホールのポートレイトは、彼が直接ポラロイドカメラで写真を撮影し、それを元に作られた様子だった。 ポラロイドカメラの映像を何か(投影など)で引き伸ばして、それを転写か、トレースして、油彩の画面を作ったように見える。 下絵はシルクスクリーンなのかもしれない。 となると、写真をモノクロにして、顔の部分を写真の引き伸ばし機のような品で、カンバスの大きさに引き伸ばし、それを油彩で加筆したというような技法になると思う。 二枚で300万円となれば、特に高くもないと感じるセレブも多かったと思う。 あ、時代が違うのか。 昭和六十年代の300万円。 うーむ。 当時の郵便の値段、ハガキ7円、封書14円 今は、51円と82円なので、ハガキは7.2倍、封書は、5.8倍ということになる。 お米は1964年で10kg 1125円 今は、10kg 5000円とすれば、4.4倍。 低く見積もって、4.5倍の物価を乗ずると、3万ドルという値段は、約13.5万ドルということになる。 はぁ。 そうかー。そんなに安いというものではないよね。納得。 |
|
銀色のカツラに、派手なめがねというのも印象的。 この前、細江英公先生の講演を聴きに行ったとき、先生には、芸術家としての、パフォーマンス的なオーラがないのが残念だと、昭和サロンのマスターが感想を述べていた。 まあ、写真家だから、作品がよければ、それでいいんじゃないかと、個人的には思う。 別に、誰が作ったかということは、世に出れば関係ないからである。 ただ、イロイロな彼のポートレイトが残っていて、クサマヤヨイなども、パフォーマンスも頑張っているなと思わされる。 作家そのものがアートでなければならない。 という部分は、無いこともない。 まとめとしては、彼の作品は、たいして好きではないし、芸術性も感じないというところだと思う。 でもまあ、インテリア絵画、ポップアートという分野を作り上げ、不動の地位を築いた、偉大な画家であることは賞賛に値する。 生きているうちに、旨い寿司を食べなければ、天国では、味は解らないはずなのだ。 生きているうちに、現金化できる画家を目標に頑張ろう。 もし、芸術家が職業なのであれば、沢山稼いだものが勝ちである。 私の大学のセンセイは、「マーケティングはアートである」と教えてくださった。 そう期待したい。 |
|
Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara. |