◆◆◆ 2004 ★ アンディーウォーホール ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.6.1.

録画していた美術番組を消化。

昭和サロンのマスターが最終日にウォーホールを見に行った話をされていたが、アタシは、展示のことを知らなかった。

この前、国立新美術館で、ナントカさんのウォーホールのコレクションを見たばかりだしさ、特に、好きだということもない。

でもまあ、番組の出来は素晴らしく、私は、展示を見に行かなかったことを後悔した。

終わってしまった展覧会のことを考えても仕方が無い。

最も興味深かった部分は、彼が、ある程度有名になったあと、イラストレーターをやめ、画家に転身。

有名人の肖像画で一年で2000万ドルも稼いだというところだろう。

1枚2.5万ドル、二枚で3万ドルという価格設定。

だいたい300万円ってところだと思う。

二枚でだよ。

有名作家に、自分の肖像画を描いてほしいというのは、当然の話である。

アタシも、肖像画家になる前に、まず、有名にならなければならないという順番だ。

昔描いた、雑誌表紙イラストの一枚。

ケータイで、マリリンのポスターを落札という瞬間。

7000ドル、約70万円というのは相場だと思う。

今は、もっと人気がでているかもしれない。

右のイラストは、雑誌表紙を描いていた頃のイラストたち。テーマは、たぶん、ケータイ電話とかだったと思う。イ−コミニケーションとかね。

電話の形がガラケーという時代の話である。

ウォーホールの番組の話に戻せば、

●キャンプベール缶を絵に描くアイディアを友人から50ドルで買った

●キャンプベール缶が描かれた、キャンプベール社の封筒の古いイラストをそのまま版画にした

●「お金を稼ぐことは芸術、働くことも芸術、うまくいっているビジネスは最高のアートだよ」

●「何でオリジナルじゃなきゃいけないの?」

●「死のシリーズに深遠なテーマがあるかと言われたらそんなものはない。薄っぺらいものなんだ」

などの話が流れてくる。

アートは、オリジナルでなくてはならないと、法律で決まっているわけではない。

ただ、作家の美意識として、そういう安易な創作は侮蔑されがちではある。

ウォーホールのビジネスモデルとして、有名人を利用した作品で、知名度を上げるという部分がある。

アタシは、横尾忠則センセイの作品も、山本容子の作品も、そういう部分もあるなと、ビジネスモデルについては、大いに納得できる。

全く見たことがない、よくわからない絵など、誰も評価したりはしないのだ。

自分の記憶や、思い出、感性や感受性などと重なる部分があってこそ、心を動かす場合が多い。

右のイラストだって、マルゲリータ王妃とか(このとき、来日していた)、ハニワ、ウォーホールのマリリンなど、結構親しみ深いモチーフで、人を引き込もうという意欲満々である。笑。

パクリで何が悪い。

という開き直りではない。

そういう作品も、自分の作品とセットで作らないと、大衆の目は惹きつけられないという実際の結果と連動しているだけである。

ホントウに才能があれば、たとえば、ダリのように、人のパクリなど作る必要はないのだ。

パクリを作る人には二通りあり、知名度を上げるために、誰もが知っている作品のパロディーなどを作り、話題を呼ぼうとするグループ。

たとえば、マネ、ピカソなどであっても、そういう話になる。ギリシア神話や、キリスト教の有名シーンとなれば、あらゆる洋画家が、同じモチーフにチャレンジしているのは、どの人も知るところである。

もう一方は、ホントウに才能がなくて、人のパクリ品を上手く描いて、画家として生きるタイプに分かれる。光琳は、風神雷神など、完全パクリだし、満寿夫だって、ピカソみたいな絵を描いて、日本で大量に販売していた。嫌まあ、彼の場合、彼の絵になってるけどね。

そうして、どんなに独自の絵が描けた天才であっても、人の心を引き込んだり、知名度を上げられなかった人の作品は、世に出ることもないという現実もある。

残酷なことは、多くの画家には、パクリ品を発表する度胸も、自分の絵を描く才能も無いのが普通である。

否、パクリ作品だけを公然と自分の絵のように発表し続ける自称画家も、見たことはある。残念ながら、こういう類の方たちは、芸術家としては、論外である。

日記なので、もういくつか、気になったところを書き留めておく。

一つは、彼のイラストの描き方。

まず、原画を作り、その上にトレッシングペーパーを置く。そうして、その輪郭線を、インクでなぞり、トレッシングペーパーを反対側に倒し、別な紙に転写するという方法である。

モノタイプ的な感覚かしらね。イラストは、原画に対して反転することになる。

●同じ絵をいくつも描くため、

●滲みを伴う、独特の線を作るため

●クライアントの要望にこたえて、細かい部分の修正をいつでもするため

というのがその理由だという。

よくわからないけどな。同じような絵であれば、別段、何枚でも作れるけどな。

まあいいか。

一発で描いた絵が売れるようになれば、反復など必要がない。と内心思いながら、次に気になったこと。

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