◆◆◆ 1992 ★ 古田織部の燕庵 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.5.6.

一度書いたのだが、別な日記を上書きしてしまう。

はぁ。

正確に思い出せないというのがね。

燕庵は、三畳の茶室に、床の間、点前畳、合判席という三つの空間を付け足した茶室である。

古田織部は、利休が、次の宗匠は彼になるであろうと言わしめた戦国武将であり茶人であった。

この茶室は、豊臣秀吉が、利休亡き後に、武家式の茶道を考えて欲しいという依頼を受けてのことだそうだ。

床の間の前には殿様が座り、警護の家来は、相判席に座るということのよう。

相判席の前にはふすまがあり、ここを閉めて、主と招待客だけの空間に区切ることもできる。

全部で四畳半程の空間で、利休の二畳の有名茶室とくらべると、倍以上。

10個の窓を備えている。

柄杓の柄を畳に落とす、僅かな音を合図に、外にいる庭当番の人が、窓のすだれを上に巻き上げる。

薄暗い室内に障子の明かりが差し込んでくるという趣向。

そういった心遣いは、斬新でワクワクする。

たいした情報や遊びが無かった時代だからこそ、そういった意表をつく「おもてなし」は、話題になったのだと思う。

テレビ番組で、研究の方は、「利休と織部には、同じ気風がある」と話していた。

自由で新しいものを取り入れ、茶時そのものを愉しむという気風である。

織部は、利休好みのパクリに走らずに、独自の美意識を確立していったというところも興味深い。

師がいれば、師に習うというのが当たり前。

茶の世界では、特に新しい世界を切り開くということは、今であっても難しいだろうと思う。

あ゛あ゛。

なんか、昨日書いてた内容と違うような気がするけど思い出せないものは仕方が無い。

何もかもから開放され、自由な世界を手に入れられるというのは、実は、ごく、ほんの僅かな人たちに限られるのである。

自由への挑戦そのものが、全く未知であり、無謀な話だからである。

私が俳句の次に心を動かされたのが茶道であった。

堅苦しいお作法とか、茶道の常識などは習ったことが無いが、茶を点てるという実技については、何人かの人に教えていただいた。

表千家も裏千家も、それ以外の流派の人もいた。

雑誌で、茶を半月型に点てるというのを見たことがあり、イロイロとググル(ネット検索する)と、裏以外は、半月形に点てるなどとも書いてある。

へぇー、自由なもんだなというのがそのときの感想だった。

織部の番組で観た藪内流という流派は、見た目、泡が全くなかったように見えた。

あれはあれでね、難しいかなと思ったり、泡だらけの方が、圧倒的に旨いのにと残念な気持ちになったりした。

茶道具というのも、実に、その茶を点てるという流れに沿って、蓋を置いたり、茶杓を置いたりと、一つ一つの所作ごとに必要になってくると解れば、そんなに難しくはない。

茶釜から湯を出すときに、釜の蓋を何かに置かないと、畳がぬれちゃうからね。

そのあと、ひしゃくで湯を茶碗に注ぐ、柄杓もぬれているから、畳がぬれないように、何事かの上に置く。

今度は、茶せんで、茶の粉を湯によく拡販する。まあ、そういう流れである。

でもまあ、そんなこと、あまり考えずに、とりあえず、茶を点てる。みんなで頂くというのでも、アタシはいいんじゃないかと思っている。

それはそれで、私なりの一期一会。

思い出深い時間となることは確実だからである。

大量に出てきた、未整理、未発表の作品

やイラスト原稿。

そして、今できた作品たちの山。

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