◆◆◆ 1970 ★ 工藤哲巳展 ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送
(あとはいつでも見れますよん)
2014.2.22. その後、近代美術館の、工藤哲巳展へ。 誰だか、どんな作品だかもまったく知らないという状態での作品鑑賞。 最初の部屋から、黒い男性器らしいオブジェのオンパレード。 この人の場合、一時が万事こういった作品のようであった。 後半は、精液を毛糸などで表現しているようであった。 同行の竜さんは、「うわー、この人イカれてるわ」 を連発。 彼女がこの筋の感想を声を出して漏らすことは少ない。 |
《あなたの肖像 '67》 1967年 青森県立美術館蔵 |
作品の品の無さも去ることながら、作品のホコリのかぶり具合、色の劣化、作品そのものの破損など、多くの問題を含む作品が多くあった。 もう50年近くたっていると思われ、捨てられたりこそしないものの、作品が汚れたり、壊れたりしてしまうというのは、構造上の問題である。 この先、何年持つかしらという品もあり、今回の展示で、さらにダメージを大きくしたものもあると思う。 特に、コンドームの中に詰め物をした作品とかね、コンドーム大破という感じで、どこにも見当たらなかった。 そうして、鳥かごに入れられた、おどろおどろしい、メダマや手足、男根などが入れられた作品が大量に並べられ、もう見たくない気持ちでイッパイになった。 先日、フジタのテレビ番組で、ゆかりのあった近所の人が、フジタは、自作の戦争画のほとんどを燃やしてしまったという話をしてくださった。良くかけた、何枚か以外は全部燃やしたのだという。 |
《人間とトランジスタとの共生》 1980-81年 国立国際美術館蔵 撮影:福永一夫 |
展覧会の出口では、学芸のお姉さんがお待ちかね。 「よろしかったら、アンケートにご協力お願いします。」 オジャラ「ああ、ガラガラだったからね。問題があるわねー」 学芸「はい。」 パリで創作活動をしていたし、あの作風では、メディアは取り上げづらいからね。知名度が低いのは仕方が無い。 近代美術館で展示ができる程の美術家は、日本にはそうはいない。 クサマ、オカモトタロウ、タケウチセイホウ、コバヤシコケイなどと同列という作品でもないとも思う。 よほど、彼の作風の理解がある人でなければ、受け入れることは難しい、ナーバスな展示だったと思う。 アタシはアンケートに、5番までの回答に、6番を付け加え、作品が気持ち悪かったと書き込んだ。 アンケートを書き終えると、学芸のお姉さんが、鉛筆を三本ずつプレゼントしてくれた。 さすが、近美は太っ腹。 以前もアンケートに答えて、MOMA特性メモ用紙を頂いたことがあった。 このメモ用紙は、とある人物に小額を貸し出すときの借用書として頻繁に利用されることになる。 そうして、その借用書は、小さい缶に蓄積され、アタシの作品として、私の小さい美術館に展示されているのである。 ちょっと現代美術をカジった美大小僧君も、この作品を見ると、大きな衝撃を受けるようだった。笑。なかなか売れたりはしないんだけどね。 |
工藤哲巳 1971年 撮影・写真提供:工藤弘子 |
近代美術館を出て、竹橋を渡りながら、こんかいの展覧会がものすごく汚かったことについて、竜さんと話し合う。 オジャラ「それにしても、ヒドカッタわねー」 竜「いやあ、そうよね。ちょっとあれはないわよねー。でも、インパクトはあったっていうか。忘れたりはできないわー」 オジャラ「そうよねー。見ないよりは、見てヨカッタわよね。ある種の経験として。」 竜「そう、見ないよりはね。」 美術愛好家のY田さんが、工藤のチケットは無いかと、打診してきたのだが、知人と行く予定があると断ったことがあった。 Y田さんは、箱に入った作品というのに、執着があるので、工藤の作品はすきなのだろうと思った。 図録が2400円で、彼にプレゼントしようかと思ったが、それだったら、チケットあげるほうがいいかなという感想。 それにしても、あんなにガラガラなのも問題だろう。若い美大生らしき美男子多数。 目に付いたのはそんなところ。 竜「作品というのは、あればイイってもんじゃないよねー。あんな、おんなじ作品ばっかり見せられたら頭にくるよ」 オジャラ「この前の、横美のナラさんの展覧会もそう。ダンボールにクレヨンで描いた女の子の顔が何十枚も並んでいて、こんな絵を粗製乱造したら、画業が悪くなるって思っちゃったよ」 というように、私たちのアート談は奥深い。 |
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