◆◆◆ 1967 ★ 男性と女性は、なぜ対等ではないのか ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.2.19.

男性と女性は、なぜ対等ではないのか?

という問いに対しては、「対等でないこともない」というのが個人的な意見である。

たとえば、完全に、肉体競技で、オリンピックの選手クラスになれば、男女の差というのはあるが、女性のオリンピック選手は、凡人の男性よりもずっと強いことも間違いは無い。

肉体的な分野で極限で戦えば、男性のほうが優位という分野は確かにある。

が、それ以外(頭脳労働や機械操作)では、実は、差はないはずである。

もし、差ができてしまったのであれば、それは、女性の関心が著しく自分に向けられているという傾向に対し、男性は、社会や経済などにも常識的な知識もち、関わりや関心を求めているという部分だと思う。

アタシは、サラリーマンのときには、毎日、業界紙、専門誌など5紙ぐらい読んでいた。

そういう、新しい情報で、得意分野を持つことで、新しい企画や、業務の改善につなげることができてくるようになった。

情報の量や質が向上してゆくのと比例して、お客様も、私の意見に耳を傾けてくれるようになってきた。

金属片による抽象画(カンバス・油絵の具・鉄片)

ただ、その姿が、女として美しかったかといえば、どうだっただろうか。

どちらが幸せなのかなど、個人によって違う。女性には、女性の描く夢や幸せも存在している。

頑張りすぎても、燃え尽きてしまうこともある。

私は、仕事で結果を出すことだけを考えて、それ以外の話は黙殺した。

精神を鍛えなければならなかった。

今思い出せば、それは、辛い時間だったのだと思う。

とまあ、そういう話になってくる。

アタシは、男女雇用機会均等法については、女性が男性と同じように仕事をする。

という話ではなく、女性でも、男性と同じ結果、もしくは、それ以上の結果を導き出せる。

という所に着目し、尽力した。

同じ方法では男性には叶わないこともある。

仕事というのは、ぶっちゃけチームなので、一人でできることは少ないのだ。

嫌われると、男でも女でも結果を出せないことは、サラリーマン時代の仕事を通して、学んだことである。

結果さえ出せば、男とか、女とかは、まったく関係なくなる。会社であれば、利益をあげ、経費を削減すること。芸術家であれば、良い作品が世に認められることである。

製図の授業

テレビ番組などを見れば、社長の夫が他界し、妻がやむなく経営を引き継いだり、両親が老齢化し、娘が農業を継いだり、そういう女性リーダーの話だって無いわけでもない。

逆に、女性地位向上などの活動をしていて、男社会で女が虐げられているなどと、大声で問題提起する人の話など、実に聞きたくはない。

ホントウに結果を出している女性は、そんな話題で熱くなったりもしないと思う。

ああいう活動家の人たちは、自分の不遇を嘆くのではなく、何故、自分に仕事を任されないのかも考えるべきである。

あんなに直情的に場を乱されたら、結果が出せなくなる。

アタシのHPのアクセス数が、結構な数あった時代。たぶん、バリ時代とか、帰国後すぐとか、そういうときには、裏サイトで、アタシがオカマじゃないかという噂がでていたのだという。

確かに、女性ブロガーの方が、アクセスが稼げるので、HP作成本などでも、女性を演じてHPを作りましょうなどと、真顔で書いてあったこともあった。笑。

実際のアタシに何度もあったのに、まだオカマだと思っている人もいて、苦笑。

どうみてもオカマではないだろう。

オットの話もそう。「ご主人がいるのは、実はウソなんじゃないですか?

ブログ上の架空の話ではないですか?」

などと、実際に会った人にまで尋ねられると、呆れて、返す言葉もないこともあった。

人生でも、ネット上でも嘘をついて良いことなどひとつもない。

成功した人たちは、必ず、自分だけの独りよがりではなく、かかわる人たちもセットでハッピーになっているというセオリーがある。

ウイン・ウイン(売る側もお客様も勝者でなければ、と商売というのは継続しないものなのである。

畳職人さんが畳を縫うときに使う、

針を押し出す道具を作ってみました

「女性が社会で活躍すること」という話に戻れば、女性は、選択肢が多岐にある。

という表現が正しいと思う。

男性と同等に、それ以上に働くという選択もできるし、仕事には就かず、家事と育児で生涯を充実して生きているひともいる。

どちらが正しいということもなく、どちらがエライという話でもない。

私は、どんな人の人生であっても、その人が、その人らしく生きることができていること、幸せを感じているのであれば、それ以上望むことはないと考えている。

そういう、幸せの数というのは、女性の選択肢のほうが圧倒的に多い。

アタシは、男性と共に働き、私らしい結果が仕事で出せるようになってきた頃から、女に産まれてヨカッタと思うようになった。

それまでだって、男に生まれればヨカッタと思ったこともないが、、、、。

そういえば、女の子と最近話してないな。

学校は、ほとんど男性だからね。

女性ヌードモデルでも募集しよう。

おじゃら画廊

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.
Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.