◆◆◆ 1965 ★ 休校日 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.2.19.

本日学校が休みにて、このように日記を書いている次第である。

昨日は、夕方、メガネ君が訪ねてきたので、ギリチョコを差し上げる。

彼は、その小さなチョコレートをひとつ食べては、丁寧にその紙包みをたたんでゆく。

性格というのは、こういうときに出るもんだね。

彼と、先日の細江先生の講演の話になる。

アタシが一番心が動かされたところは、「主観をもって撮影していても、客観が混じってしまう。その、主観と客観を繰り返しているうちに、自分の写真になってゆく」

というところだという話をする。

芸術表現は、すなわち、作家独自の表現ができているのかというのが第一歩である。

その上で、その表現が、新しいかとか、芸術性が高いか低いかという評価が次々と連なってくる。

オジャラ「独自の表現といってもさ、写真でそれを表現するというのは、ホントウに難しいことだよ」

メガネくんも、ウンと頷く。

学校で金属をカットする練習を

したときの廃材

写真の表現というのは、カメラを通じて撮影されるという共通項があり、写真の出来・不出来をカメラのせいにする人もいるけど、決してそうではないと信じたい。

それでも、細江先生の、60-70年代の作風というのは、他の追随を未だ見ることは無い。

自分で焼いていたんだろうという創造をしている。

それから、メガネ君に、瑛九の解説を少しする。池田満寿夫の先生でもあったのよ。

と話すと、満寿夫を知らないという答え。

これから、満寿夫の作品を新たに知るチャンスがあるというのは、なんて幸せなんだろうとアタシは思った。

瑛九の作品で、アタシがもっとも心を動かされたのはフォトデッサン。

新しい表現、動きや光に溢れた自由な表現である。

そういうことを楽しんでいるというのが伝わってくるのもヨイ。

瑛九そのものは、生きている間に、満寿夫ほど成功したとは思わない。

作品にも、確かに違いはあるんだけどね。

柳刃にて、金属版、一ミリカットの練習

それから、宗像志功の版画のことを思い出す。

私は、彼の版画が、版画の中で一番好きである。

満寿夫も素晴らしいけど、志功の図録ほど、何度眺めてもわくわくするということはない。

この違いというのは、何なのか。

ぼんやりと、そんなことを考える。

メガネ君は、草間の作品の動きについて話はじめた。

彼女の作品は、動きというよりも、パッションだよね。抽象画がほとんどだしね。

まあ、作品の中にリズムのような動きは、確かにある。

ビトンとコラボしている、草間彌生ちゃんの、赤いバッグ、ステキだったよな。右の写真。

15万ぐらいするのかしら。

(138000円でした)はぁ。

まあいい。考えるのはよそう。

猫が、メガネ君との会話に割り込んできて、腹が減ったと鳴くので、エサを与える。

メガネ君は、隣のバーに酒を飲みにきたついでに、ウチにちょっと立ち寄ったということもあり、チョコの食べすぎでのども渇いているだろうから、先にバーに行くように伝える。

アタシは、その後、いくつかの雑用を済ませ、囲炉裏の炭を消し、いつものようにたった一杯のビールを飲みに、the sunのドアを開けた。

金属をカットする練習の結果

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