◆◆◆ 1943 ★ 学校のガイダンス ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送
(あとはいつでも見れますよん)
2014.1.12. これから、少しの間、専門の技術を習得する学校に通うのだけれど、ブログや、ホームページに書いてはいけないという決まりがある。 昨今の、いたずら画像投稿ブームと、その落としまえ的な結末のよう。 該当の学校でも、同様のいたずら投稿などにより、退学処分になった人がいたらしい。 ということで、写真撮影も禁止。 どのようなことを学んでいるのかとか、その他、書くことができないのが残念である。 まじめなコンテンツと、迷惑なコンテンツの区別はつけづらい。 アタシが作れば、求人難の講座だって、受講者倍増は必至なのにね。あはは。 まあいいわ。 ということで、ネット的には、シークレットに、こっそりと学校に通うことになる。笑。 こっそりなんだ、、、、。 こうなると、学校そのものが黒魔術ね。 |
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そういえば、年末、気付いたことがあった。 芸術の「芸」というのは、芸の芸。 芸人とか、手芸、そんな話で、見る人のために、こちらも、練習を続け、芸を磨き続ける。 それこそが芸。 アタシはもお笑い番組もよく見るけど、芸というのは、磨き続けなければならなくて、そこが、骨子である。 見る方は、すぐに飽きてしまう。 その辺りについては、理解できていたのだが、今回わかったのは、「術」という言葉についてである。 手品を見ていたのかな。 呪術。 何かのテレビ番組の手品を見たときに、ハっとした。 たしか、でんじろうセンセイと、ミスターマリックのコラボ番組を見ていた時かもしれない。 |
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でんじろうセンセイは、マリックさんの手品に感動し、当時、物理のセンセイだったんだけど、授業の方法を、もっとアトラクティブで、実験的な内容に変え、生徒の関心を持たせると同時に、理解を深めるという実演手法に変えたのだった。 当然に、そうなるべきなのだ。 そう、「術」すなわち、「謎」である。 人を惑わし、「どうやったんだろう」と思わせるのが手品。 芸術というのも、そういうものなのではないか。 あるとき、何かが降りてきて、私はハっと気付いた。 ということになる。 芸術すなわち、 「努力しつづけた軌跡。」 および 「謎」 なのだ。 |
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何か解らない力に突き動かされて、アタシは多いに納得した。 そうだよ。そうなんだよ。 みたいなね。 俳句を教えて頂いた時に、「俳句は、俳なんだよ」 という一節があった。 俳というのは、おどけるとか、演じるとか、そういう意味がある。 自分におどけたりはしないものだ。 見る者を意識し、見た者を楽しませる。 それは、芸にも共通する行為である。 岡倉天心先生も、見た者が楽しくなければならない。というような、共感的な話をされていて、そのときに、もっともだと思ったものだった。 まあ、こういう感情になれたのも、随分と、美術の勉強が進んできたからだとも思える。 もともと、たいした考えがあって、絵を描いていたということでもないけどね。 |
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