◆◆◆ 1930 ★ すみれちゃんの話 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2013.12.29.

すみれちゃん(ニックネーム)から、苦情の電話が入る。

アタシが作ったポストカードの紙質が、ツルツルしすぎて、筆ペンで、賀状の文字が書けなかったという苦情である。

去年のより、品質を少しあげて、少し白くて、ツルんとした紙になっていたかもしれない。

お値段以上のクオリティーで、彼女の絵だって、実物より、ずっとよく見える。

が、彼女は苦情を言うのである。(毎回)

自分の住所を書き込む郵便番号の欄も小さいという苦情。

オジャラ「一昨年のと同じ大きさだよ」

すみれ「でも小さいから気に入らない」

私は、「気分が悪くなる品物を納品し、申し訳ございませんでした」と二度謝った。

多少なりとも、彼女の怒りは和らぐかもしれないし、アタシに苦情を言ったところで、問題は解決しないのだが。言わないということは出来ない性格(病気)なのである。

毎回、彼女は、文句を言ってくる。

買い物依存気味で、いつもお金を使いすぎてしまう傾向があるため、私は、その仕事を、格安で引き受けているのにも関わらずである。

一度は、刷り直したこともあった。

文句言われるような非は、どこにも無いのにである。

彼女は、アタシの最初の患者で、長らく、彼女の心のケアを続けているが、年のせいもあるのかな、感情のコントロールというのは、ますます出来なくなってきている。

神経症というのは、自分の思考の傾向が、他を否定したり、怒りをぶちまけたり、自分を褒めてもらいたがったりという、幼児のような行動に似ている場合が多い。

特に、自分を褒めてもらいたい、自分が仲間の中心で、ちやほやして欲しいという気持ちが、強いというのが特徴。

昨年は、絵の会の新年会で、早く行き、良い席を確保したのに、イチゴを洗ってくれと、会長さんに頼まれ、戻ってきたら、席が他の人に取られていたのが、不満だったという話をされる。

末席で、新年会がつまらなかったから、今年は行かないという話を、先生にし、参加を断ったんだという結末。

嫌なババアだなあと、全員が思う話である。

会であれば、そういう人を実は排除したい。

そういう人が一人いるだけで、会のムードが悪くなり、みんなの仲も悪くなってしまうからである。

アタシは、あらゆる会で、末席であっても、自分の絵が、どんなに隅に飾られたりしたとしても、怒ることはない。

どんな場所に飾られようと、アタシの絵は、アタシの絵であることに違いないからである。

すみれ「アタシは、上昇志向だから、自分より下の人とはつきあわない」

などと言いはじめ、そのくせ、他の人と折り合いがうまくつかないことは、小さい話でも気になるようだった。

というように、自分の性格の劣悪さが原因で、他の人に敬遠されているという、自分の問題には、全く気付かないことも、病巣を深くしている原因でもある。

しかも、もとになる絵というのが、物凄く下手くそで、アタシが、パソコンでコントラストの補正をすると、今度は、絵の一部が違う色になるから直してほしいと申し出てくる。

オジャラ「画像補正の料金は入ってないよ。安く引き受けてるんだからさ、アタシ、嫌だよ。」

と断るが、彼女はガンとして受け入れることはしないのだ。文句を言ったり、ここの部分は気に入らないから、他の色に置き換えてくれと頼んでくる。

オジャラ「そんなことしたら、元の絵と並んでも、同じ絵に見えなくなるよ」

と、何度も断り、助言もするのだが、彼女には、彼女の理想とする絵があるようだった。

アタシは、どこまで自己顕示欲が強いんだろうと、彼女の業の強さを不憫に思わないわけにはゆかない。

ケリーもアタシも自己顕示欲は強いが、他の人を攻撃したり、良い絵を悪いと言ったりはしない。

すみれちゃんの最大の難点は、絵が下手くそだというところだと思う。

絵が上手ければ、この世界は、どんなに性格が悪くても尊敬される。

良い絵を描いた人と、少しでもお近づきになりたいというのが本心でもある。

褒めるべきものが無いのに、褒めてもらいたいというのは、独りよがりという世界。

根本的にムリがあるんだよなあ。

あるときには、「自分の絵が、どうして賞に入らなかったんだ?」と、審査員の人(会長)に激高していたこともあった。

アタシなんて、出せば賞をもらっていた会でである。

そうすると自分の良い子ポイントを上げようと、頼まれてもいないのに、受付の手伝いをして、またトラブルになったり、イロイロなつけ届けをして、ますますお金を浪費して、あとで困ったりということが繰り返されているように思われた。

まあいい。

私の人生ではない。

彼女は、図録を作ってほしいとアタシに頼んできたことがあったが、アタシは、どんなに良くできたとしても、文句を言われ、嫌な思いをさせられること必至なので、「100万とか、200万円ぐらい予算があるのであれば、引き受ける」

と答えた。

彼女は、「30万円ぐらいでできると思っていた」と言い、その話はなくなった。

アタシは、本当にホっとした。

彼女は、自分の気持ちが和らぐまで、回りの人に当り散らすのである。

その「非」の部分が、普通の人なら、全く気にならない話であってもである。

関わらないというのが正しい接し方。

精神安定剤でも飲んでほしいというのがアタシの個人的な感想である。

精神病院のドクターには、長らくかかっているようだが詳しい話を聞いたことはない。

日常生活は、年金以上に消費するというところ以外は、できているように思われる。

それにしても、あんなに見栄を張って生き続けるというのも息が詰まりそうだといつも思う。

私は、彼女の自己中心的で「出口の見えない心の闇の話」を聞きながらも、こういう老人にならないように気をつけようと、会うたびに思うのだ。

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