◆◆◆ 1839 ★ 竹内栖鳳展-2 ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送
(あとはいつでも見れますよん)
2013.10.3. アタシが一番心を動かされたのは、やはり、スズメの作品だと思う。 どのスズメもよく膨らんでいて、チュンチュンと鳴いている。栖鳳自身も、スズメは、ちゅんちゅん鳴きさえすればよいと描き残していた。そういう絵になっていることがスゴイと思うのだ。 動物の描写はどれも素晴らしい。さまざまな技法で描かれた、幅の広い作風にも驚かされた。 タヌキ、キツネ、鳥などは、どれも生きているように生き生きとしていて動きが軽やかである。 観察に観察を重ね、写真やスケッチも膨大に作っていたと解説されていた。 大量にある画帳は、生涯手放すことがなかったのだとテレビ番組には流れていた。 習作というのは、手放すか、手放さないのか。どちらかである。 |
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でも、成功した画家のほとんどは、スケッチなどの習作を売ったりはしないというのがアタシの研究結果である。 売らなくても、本画が、若い頃から売れていたからだと思う。 玉堂先生は、お世話になった人にあげていたらしいし、栖鳳は売らなかった。という事実がある。 もしくは、谷内六郎先生のように、イラスト料として、原稿の対価が相応に支払われ続けたため、絵での生活が成り立ち、原画を販売する必要がなかったからだと思う。 |
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それにしても、なんと精密なスケッチなんだろう。特に、蝶のスケッチは、色付きと、線画がそれぞれあり、葉脈のような、蝶の模様の骨組みまで写されていた。これぐらい、中身を理解できないと、良い作品にはならないということのよう。 アタシも、何も見ないで絵を描くように思われているけど、実物を見て絵を描くということだって、たまにはする。 何故そうするのかといえば、薔薇をもらったり、果物をもらったりするからである。 絵というのは、描き続けることが上達の早道だし、前に被写体を置いて書き写す方が、何も見ないで作品を作るより、ずっと難しいのである。 |
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観客は、例のごとくご年配の皆様多し。 新聞チケットのお客様というムード、 収集愛好のオジサマたちは、ルーペや双眼鏡持参なのですぐわかる。 オジサマたちは、人の流れなど気にせず、長いことお気に入りの絵を眺めたり、鼻の穴を広げて、近くでシゲシゲと絵を凝視する。 「偽絵をつかまされないでね。」と、内心祈らずにはいられない。栖鳳先生の絵は、ちゃんとした画商さんから、ちゃんとした筋の作品を求めましょう。きっぱり。 のろのろと歩く人の波を、S嬢は粘り強く、ゆっくりと足並みをそろえる。 アタシは、早く次の部屋に行きたい気持ちで一杯なのだが、彼女の気持ちは、そういうわけにはいかないのだ。 途中で、ベンチで休むかと聞くと、「(絵が見たくて)もったいないから、休めない」という感想。彼女がこんなに引き込まれるというのは想定外だった。 |
これは、三丁目の氷川神社の、古い建物の方。 確か、ナントカブンカ財だったような気が。 千住の案内のときには、ちゃんと調べて入れときます。 |
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