◆◆◆ 1826 ★ スケッチに行く-2 ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)
2013.9.10. 昨日は、4丁目の氷川神社までで、今日は、大川町から、宮元町、千住緑町の神社を攻略。 七福神を中心にした、そのあたりに点在する見どころやトイレなどの紹介をする。 チャリンコを仕入れたので、なかなか快適。 特に、大川町の神社への歩行ルート、宮元町までのルートなどは、何回か行き来し、どの道を通るのが、より素敵かを確認。 嫌まあ、たいして、素敵でもないが、そこは無料なので仕方がない。 それでも、千住らしい場所をいくつも通ることになるし、探せば、古い屋並みや、面白い掲示板なども見かける。 スケッチするスポットは、基本、それなりに絵になる場所であることは間違いがなく、カメラや、スケッチ、吟行の方など、手っ取り早く、思い出深い散策を楽しめることは間違いがない。 |
それにしても、下手だよなあ。 写真も入れることにしよう。 |
最初に、大川町の神社を目指していると、有名な表具店を発見。 以前、額縁屋のおやじが、アタシを連れてきてくれたことがあった。 額縁屋でも、表具店の店主様にお会いしたことがあり、三人で団子を食べたような記憶がある。 なんでも、日本画(ラクダ)の平山郁夫先生から表具を頼まれていたとか、宮内庁の障子を張り替えたとか、そういう実績。 その先に、小さな地蔵堂があって、カワイイので地図に入れようと、スケッチを開始。 そうすると、近所の人がワラワラと絵を見に来る。 平日の昼間というのに、ろうそくもお線香も火が灯っていて、地元の人が大切にしているというのが伝わってくる。 そうして、お堂の中に、お祈りの言葉とかが、書で書かれていて、アタシは、何て美しい書なんだろうと思っていた。 私の絵を見ていた人の一人が、名前は何というのかと聞いてくるので、まちかど美術館の地図を渡したら、「おじゃらさん?」 と聞いてくる。アタシは、はいそうです。 と答える。 |
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彼女(Sさん)は、足立書道連盟の方で、安藤先生の仲間だという話になる。 S「おじゃらさんは、安藤先生に書を習っていたって、彼女が話していたけど、本当なの?」 おじゃら「はい。正確には、先生が、ウチのギャラリーに遊びに、もしくは用を足しに来て、ついでに、筆運びの練習で書いている書などを見てもらい、指導してもらってました。最近ご無沙汰ですけど。」 と話す。 S「それじゃ、先生に来てもらってたの?」 おじゃら「そういうムードではないんですが、、、勝手に来ていたというか、、、、その際には、無料で指導してもらってましたけど。本当に良くしていただきました。」 安藤先生から教えていただいたこと。 「書はかすれ」 一生忘れません。 なかなか「かすれ」た字のことを思いだす前に、創作活動が終わってしまいますが、書は書いてます。 もう一人の爺さんは、長い間、アタシが絵を描くところを眺めていて、 おじゃら「絵を描くのを見るのは楽しいですか?」 と伺うと、 おじいさん「ああ、描いてくれて嬉しいよ。」 と言って下さるので、アタシは、本当におどいた。 おじいさん「これは、どこかで発表するんですか?」などと聞いてくる。 おじゃら「町歩きのWEBサイトで、公開します。」 とはいいながら、パソコンには縁遠い感じ。 風景画というのは、描いたことがなかったけど、大切にしているものを描いてもらうというのは、嬉しいものなのだということを学べた。 |
それにしても、建物が全部入るということはないのよね。はぁ。 |
大川町の神社では、本殿、藤塚、紙すきの 碑をスケッチ。 そのあと、大川町公園のトイレをスケッチ。 ここは、映画撮影にもいい感じ。昔、区営のプールがあった場所は、今は、噴水みたいになっていて、水が出ていなくて、そのオブジェは、ギリシアとかイタリアの古代遺跡みたいで不思議。 だけど、三分の一しか入らない。 仕方がない。 次に、宮元町の稲荷神社を訪ね、小さなほこらをスケッチ。 至近に、葛飾北斎が、富嶽三十六景の一枚を作った場所とされる土地に、説明のパネルが貼ってあり、内心「ウソだろ」 と思いつつ、稲荷神社スケッチの前と後に、二回も見てしまう。 このことは紹介しなくては。 |
これは、三丁目の氷川神社の、古い建物の方。 確か、ナントカブンカ財だったような気が。 千住の案内のときには、ちゃんと調べて入れときます。 |
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