◆◆◆ 1803 ★ アンドリュー・ワイ・エス ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2013.6.24.

ワイ・エスの絵を見たのは、ずいぶん小さい頃じゃないかと思う。

もしくは、大学の頃かもしれない。大規模な展覧会が開かれていたときである。

絵などは、ほとんど見たこともなく、何故行ったのかというのも記憶にない。

精密な描画も、近くによると、そんなに細かい色の集団ではないことに驚いたという思い出がある。

絵や、彼、彼の生い立ちなどの蘊蓄*がなかったので、『へぇ、これが』的な感想しかないというのが本音のところである。

そのあと、別な機会に、もう一度見ている。

日本の地方美術館がたくさん所蔵という、細密画系は、日本人が結構好きだし、彼も多作で、作品がそんなに高くなかったということもあると思う。

今では値段が上がってしまい、買えないとは思うが。

*彼の生い立ちなどの蘊蓄というのは、まあ、60年間、同じ絵を描き続けたとか、絵の被写体となった人が障害者だったとか、幼少より体が弱く、厳格な父親に出来あいされて育ったとか、そういう彼の周辺に関わる話であり、日本人は、そういう、同情や共感を持った観賞が特に好きである。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

日本人画家であっても、あれぐらい描ける人は、今やたくさんいると思える。

同じ場所を60年も描き続けたとか、絵の解り安さとか、安定感や、まあ、信念みたいなものが違うのか。

知名度だけではないと思うが、独特の画風という程の特徴も希薄といえば、希薄だと思う。

彼の絵かどうか、他の絵と交じったときに見分けられるかどうかは、本音のところ不安である。

これが、ピカソや、マティスの絵であれば、見間違うことはない。

そういうことになる。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

それでも、日本の美術館が、彼の作品を大量に所有しているということは興味深かった。

どうして、日本の画家に目を向けないのだろう。

そういう悲しさも同時に引き起こってくる。

知名度や、研究者の愛好具合なども、そういった傾向には含まれるということになる。

それでも、テレビ番組を見ていると、学芸員が好みそうな、ある一定レベルのクオリティーというのは解らないわけではない。

そこまで自分の作品の絵を変えたほうがいいのかもわからない。

描き進めば、そういうクオリティーになってしまうものなのかとも思うが、そうでもないだろうとも思う。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

根津美術館で、陶芸作品の展覧会。

ナントカ言う人のコレクション。

彼のコレクションの、あの毅然としたフォルムは一度見ておきたい。

会津にある、金沢県立美術館のコレクション、ようこそ東京へ。

金沢に行く手間が省けたわ。

そうして、何百年も大切にされて、人の手から手を旅した作品の美しさとか、気品というのは、だいぶ解るようになってきたと思う。

大切なことは、良く分からない作品についても、見続けることである。

その作品の、何を持って、どう良いと評価している人がいるのか。

それが、何人ぐらいいるのか。

そういう話である。

美術館を巡回するということは、すなわち、良しとした人が、コレクター以外に、もう一人、美術館の学芸がいたということになる。

最低でも、2人が必要。

ということになる。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

おじゃら画廊

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.
Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.