◆◆◆ 1801 ★ 作品の整理・お葬式 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2013.6.24.

とある事情から、作品の整理をし、アトリエに運び込むことになる。

積み上げられた作品にエディションをつけ、ゴミ袋に入れる。(長期保管のためです)

ゴミのような作品は、あちらこちらに分散している。ギャラリーの隙間という隙間に入れられた作成途中とか、材料などが次々と発掘される。

そうして、それらを作品に仕立てるという不毛な創作活動にシフトしてしまうため、なかなか移動作業が進まないというのが実のところ。

もうだいぶ前なのだが、被災したコレクションは放置されていた。今日は、いよいよ発掘され、パーツなどもまとめて、湯呑みの桐箱に入れられて、ひょう柄の布をクッションにして、まるでツタンカーメンのように包まれる。

上からもゴールドとラピスラズリ色の縞模様でペイントしようかしら。

それから、ワケも分からず、突然現れた、仏像の貯金箱。(拾ったという可能性もあり)

仏様には、拾った、小さな小判を持たせる。

それから、先ほどの大破したコレクションで使っていた、作品台座に座らせ、針金とストローで固定。

せっかくなので、仏壇的なものを作り、そこに安置しようかなと考えたが、思いのほか、場所がないことは理解できた。

そんでもって、配置場所などをググる。

おおっ。神棚は南向きがよろしい。

北側に神棚を作り、南側を向かせるとヨイのだそう。

ギャラリーは北向きで、入口付近に神社のお札を貼っているのだが、これが正しい位置ということになる。

なるほどね。

お香は日常的に焚いているので、あまり考える必要はないが、花とかお水とかを供えるというのもね。柄じゃないというかね。

花は、スミレちゃんがときどき持ってきてくれて、飾ったりするし。

猫に水はあげてるからね。

なんとなく、神様に供えるための類似した活動は営まれていたということになる。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

イロイロな話は気にしないようにしよう。

どのみち、脅し商法的な話も交じっているだろうし、どの説が正しいのかなど、誰にもわからないのだ。

信仰というのは、新人が、高い仏像を所有するなどの別なものにすり替わり、祈られる場合も多い。

本来であれば、精神的なもののはずなのに、仏像などに手を合わせるほうが、具体的で、分かりやすいからね。

そうして、以前に作った曼荼羅の作品とか、壊れた仏像の面を修理した品なども、周囲に配置してみる。

配置の方角が悪いのかもな。

というように、あらゆるものが、心の隙というものに、つけコンでくる。

気にしないようにしたとしても、知識というものが増えると、それは、そういったものに従ってしまうというのが人間の弱さである。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

とりあえず、仏像を配置し、神社から配られるお札も、今までは、ピンで入口付近に止めていただけだけど、お札を入れる板を作ることにする。

神棚をググルと、家らしき映像しか出てこないんだけど、中には何も入れないもんなのかしらね。

であれば、仏壇の方がいいのかしらね。仏様を安置するわけだからね。

先日、母が訪ねてきて、先日の母のお姉さんの旦那さんの葬式の話になる。

アタシは、母方が真言宗だというのは全く知らなかった。

おばあちゃんが亡くなったのは小さい頃で、記憶もなかったし。

ただ、母の生家のすぐそばに、小さいボロいお寺があって、墓参りには必ず行ったという記憶はあった。

今度の法要では、お寺も立派に建て直されていて、絢爛豪華な宗教道具が並んでいたのが印象的だった。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

特記事項としては、二点。

ひとつは、お坊さんの読経について。

ウニョロロン、うにょろろん、、、、、

途切れ途切れ・・・・・

ウニョロロン。

的な、息も絶え絶えの時間が何分も続き、父方の日蓮宗の読経の、流麗で抑揚のある声に慣れていたアタシは、かなり驚かされた。

母も、あのお経は手抜きだと怒りを露わにしていた。あはは。そんなことはないだろうと思うけどさ。宗派というものも、個性があるのだと解った日でもあった。

もうひとつは、団子の話。

葬儀場からお寺までは至近。

お葬式のときには、もう、ご遺体の焼却が済んでおり、お見送りの親族たちでお墓まで行き、納骨をしてしまうという流れ。

納骨の後、お寺の出口までの道で、団子を渡される。

もち米で作った、丸めただけの団子(月見のときに盛り上げるタイプの、卓球の玉型)

を、全員が、必ず、食べなくてはならないのである。

以前は、お墓に供えていたらしいのだが、カラスの害などで、お墓が荒らされてしまうため、持ち込んだ団子は、お見送りの皆様で、その場で消化ということに変わったのだという。

団子は思いのほか甘く感じ、旨かった。

母、母のお姉さん、母の妹は、全員が、モチを配っている伯父のお嫁さんに「自分で(団子を)作ったのか」と聞いていて、そのことにも驚いた。小さい頃は、みんなで団子を丸め、楽しみにしていたんだと、ピンときた。

伯父さま、ご冥福をお祈り致します。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

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