◆◆◆ 192 ★ ピカソ展を見に行く ◆◆◆

2004.9.24

ガーデンのハートストーンズ、

『白兎』コーナー

ピカソ展を見に行く。

見に行ったのは、『肉体のエロス』という展覧会で、パリのピカソ美術館から借り出してきた作品である。

パリのピカソ美術館といえば、アタシも行ったことがある。

あの時は、作文用紙3枚の公募で、パリ旅行をゲットした、無料の旅行であった。

『アタリ』で行った初めてのパリは、パックツアーに参加しなければならなくて、行きたくもない観光地を回り、まずいツアー飯を食べ、荷物をなくした人や、エステの説明を受ける人を何時間も待つ旅であり、嫌な思い出の方が多かった。

自由時間には、パリのピカソ美術館をやっと訪ね、モンマルトルの墓地でオギスの墓を参ってきた。

たった二つだけの思い出である。

それでも、その旅は、以前の旅とは違い、私が絵の方向に進んでゆく、かすかな光の差した旅であったと思う。

オギスの墓の前で、私は、『いつか、オギスのような美しい絵が描けるようになりますように』と祈りを捧げる。

私が絵を好きになったきっかけが、オギスのリトグラフだったからである。

パリのピカソ美術館は、バルセロナや、プラドのピカソ別館のように金はかかっていなかった。

どちらかといえば、古い町並みに溶け込んで、こじんまりとした、地味な美術館である。

そうして、知らない町でパンとコーヒー牛乳を買い、公園のベンチでハトを見る。

薄グレーの空を見上げて、『ああ、ココがパリなのか』などとため息をつく。

100年も前に、絵を目指し、この地を訪れた画家というのは、何と立派だったのだろうか?

パリのピカソ美術館には、英語の学芸員がいて、一日に何回か、観光客に絵の説明をする。

そうではなかったかもしれない。日本人観光客のガイドだったかもしれない。どちらにしたって、私は、遠巻きにその列に混ざり、説明付きで彼の絵を鑑賞した記憶がある。

パリ市は、あるとき、絵画での納税を認め、ピカソは、その膨大な税金を、彼の作品で支払うことになったと、その学芸員は説明していた。

そうして、この美術館が設立されたのだと。

この時期のピカソは、肉体のパーツをバラバラにして、それを平面で組み合わせるという作業に没頭していた。

物納なので、当然に、傑作からは遠い作品が収められているようにアタシには見受けられた。

例えば、膨大な枚数の版画作品であったり(エディションもサインも入っていない)、市場では売買されにくい、巨大で薄塗りの出来の悪い絵だったり、そんな作品が果てしなく展示された、サエない美術館であった。

税務官が、絵の価値を見抜けないと知ったピカソもしくはその関係者が、とりあえず、出来の悪い絵や、中途でやる気を無くしたサイズだけは大きい絵を、急いで引き渡しましたという、随分と低レベルで粒の揃った作品群である。

税務官だって、ここでピカソの気が変わる前に、目の前にある作品だけでもなんとか持ち帰り、『こんなに収めてもらった』などと、上司に報告しなければならない。納税時の急いだやりとりが目に浮かぶようである。(爆)

それらは、『肉まん』が、絵の90%を占め、ところどころから、手や足が出ているという絵であり、そういう絵が連作で何枚も展示されているのである。

この絵は、少し引き締める。

ま、こんなもんで。

小さい作品だけど、額に入れると物凄く高そうに見える。(爆)

絵の説明を見ると、女と男がからみあい、肉の塊になったところのようである。

税金の物納というのは、こういうものなのかと、アタシはある種、物凄く納得して、内心腹を立てながらその美術館を後にした。

巨匠と言われる画家は、大量に作った作品の中から、数点の傑作が生まれるということなのだろうと理解した。

それは、バルセロナの、初期から晩年まで、力の入った作品が並んだ、美しい作品群からは、物凄く落ちる品揃えであり、他の美術館を諦め、ピカソだけをパリで見ることに決めたアタシは、随分とがっかりさせられたものだった。

彼のイロイロな作品を見ているアタシには解る。オークションなどに出る絵は、もっと、レベルが高いし、色彩も豊かなのである。

同じ作家が描いた同じサイズの作品であっても、出来不出来によって、値段が変わってくるということに他ならない。

あのルノワールでさえ、顔を何度も塗りなおし、ダメになった絵に、いつまでも加筆を続けていたという話を聞く。

シャガールの絵は、完成することがなかったとも。どちらにしたって、ピカソの絵というのは潔い。

彼は、女か、闘牛士しか描かなかったと思えばいい。

何の絵か解らない場合は、まず、『女かどうか』というのを考える。

彼は、この世に存在しないものを描いたりしなかった。であるからして、目の前の絵画は、『女性』である場合が多い。

登場人物だって、3人がMAXということが多い。

アヴィニオンの娘は5人位いるけど、ほとんどの場合、1人、多くても3人というコトが多い。もしくは、エッチ中という絵のどれかなのである。(その場合でも、三人いたりする。爆)

そうして、一回バラバラにされた女は、カンバスの上であちこちにつなぎ合わされて、彼の絵となってゆく。

鑑賞者がすることは、どれがオッパイで、どれが髪の毛かを確認することしか残されていないのである。当時、ピカソが何を考えてこの絵を描いたのかなんて、考えたって、確認のしようがないだろう。図録などに載っている絵の解説は、全くいい加減な創作で、ほんとムカつくのよね。

ということで、ピカソをきちんと見てみたい方は、是非足をお運び下さい。東京都ゲンダイ美術館は、物凄く立派な建物でした。パリに行くよりは安いです。

そうして、アタシは、先日見たマチスの絵と、ピカソの絵と、どっちが好きなのかを考えていた。

アタシは、やっぱりピカソが好きなんだと思えてくる。

国立西洋美術館の常設展には、ミロの大作がピカソと同じ部屋に掛けられていた。

ミロの絵には、いつでも感動してしまうのである。

それは、ピカソの絵よりも、もっとスゴイと感じるのだ。

ミロとピカソはお互いスペイン人ということもあり、交流もあったらしい。何よりも、その作品を相互に認め合いというか、強い影響を受けてお互いが発展していっていると感じさせられる。

この絵は、ピカソの絵ソックリ。ミロの絵ソックリ。ピカソの絵そっくり。そんな感じのように思えてくる。

そうして、作田先生が、『全ては、そこ(影響された絵からインスピレーションを受けて、自分の作品に取り入れる)から始まるんですよ』と教えてくださったことを思い出す。

自分では気づかないうちに、優れた作品というのは、作品の中に入り込んでしまっているのである。

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