◆◆◆ 081 ★ 梅原のバラ ◆◆◆

2004.2.21

習字や落書きは、短時間で飽きてしまう。

干す場所がなくなったり、墨が無くなったり、指先だけが冷たくなり、書き進めなくなるタイミングで、コーヒーを飲む。

そんでもって、そんなときには、巨匠の画集を拝見する。

アタシは、知っている画家というのも極端に少なくて、名画というのしか見たことが無い。

俳句では、山頭火と放哉しか読んだことがないのと似ているのかもしれない。

有名でない人の作品には興味を持てないのだ。

否、そうではない。

優れたものだけに触れることにより、優れていないものとの差は、十分に学習できるということを知っているのだと思う。

優れた作品だけを見続けることにより、どちらも理解できるようになるのであれば、時間というのは限られているのだから、優れたものだけに触れる努力をすればいい。

悪い作品の情報というのが、混じっていないから、いい作品に近づけるのである。

悪い作品というのは、人を混乱させてしまい、触れることそのものが時間の無駄でもある。

情報を集めるというのはカンタンだが、それを取捨選択する能力や時間というのは、全く別の話なのだ。

梅原龍三郎センセイの作品は、わりに暗めの色(影になる感じ)を先に塗り、あとから、透明な明るい白などを何度も重ねて、全体的な形を作り上げている。

最後に仕上げてある、黒やブルーであっても、薄く透明なので、画面全体が、引き締まっているのに、透明感を保っているのである。

ふーん。

こうやって描いているのか。

ルノアールの絵は、いつまで経っても描ける気がしないが、梅原のバラというのは、一枚欲しいもんなあ。

どーせ買えないから、似た絵を描いてみよう。

みたいな感じかなあ。

草間センセイのカボチャも、自分で描いて貼ってあるしなあ。(ホントウ)

もう少し、絵の具をちゃんと油に混ぜたほうがいいね。うん。

強い色を下の絵と混じらないように塗り重ねるには、ある程度、シッカリと乾かしているんじゃないかと思う。

全体的にうす塗りなので、加筆しやすいのかもしれない。

アタシの作品ときたら、ボテボテだから、それに逆らって加筆をするのが難しいときがある。

こうやって、イロイロな人の作品を見ながら、イロイロなタイプの技法を習得していく作業は大事だなと思う。

アタシは、油絵は独学なので、センセイに習ったりしていないのだから、自分で学び取るしかない。

画集はそんなに持っていないけど、ポストカードは大量に持っている。

大きなトランク一個分もある。

そうして、この絵は、全く自分の絵という感じがしないけど、絵画というオーラは発していて、自分の作風がいかに不安定かということを思い知るのであった。

どんなに人の真似をして描いたとしても、アタシの作品だと解るような絵でないと、画家として絵を描いている意味がない。

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