◆◆◆ 007★木版画モード ◆◆◆

2003.7.31

リフォーム中のお隣の大工さんは、ウチによく、水をもらいにくる。

そんなもんで、仲良しのオジャラは、ときどき、捨ててある木切れなどを頂戴することがある。

大きい板は、自分では買いにいけないし、この程度のベニヤ板でも、買ったり運んだりするのは大変なのである。

モディリアーニが金に困って、石畳の石なんかを工事現場から失敬したときの話を思い出す。

材料費タダだもんなあ。たはははは。

こうなると、もう、材料費に金を払うのが馬鹿らしくなってきたりするから怖いよなあ。

そういえば、廃材なんかで、大きなオブジェ作っている人いるよなあ。

キモチは一緒なのぉ?

そんで、頂いた木切れを手ごろな大きさにカット。

書道の練習に飽きてしまったのと、タダの版木が玄関に積んであったのをみて、つい、木版画を始めてしまう。

正面にあるのは、俳句のテキスト。

現在240番まで書く。

習字の道具が出ていると、木版画は、あっという間に作れてしまうのだ。

習字をしたり、油絵をしたりしていると感じるのが、一つのことを続けていると、飽きてくるということである。

学校だってそうだろう。イロイロな科目が、ローテーションして、気分を変えられるようになっているではないか。

なるほどお。

そんなキモチで、アトリエでは、イロイロなことにチャレンジしようと思うオジャラ。

木版画は、沢山作ると(彫るときに力を入れすぎて、)指が疲れて、絵が描けなくなるので、一日一枚と決める。

ヤスリで表面を少しツルツルにしたあと、薄墨を塗る。

これは、彫刻刀で彫った部分を解りやすくするための作業。

このひと手間は、かける価値がある。

そのあと、下絵を描く。

まだ、薄墨が乾かないのに、ムリに下絵を描いたので、思い切りにじんでしまう。

オイオイ。(→せっかち。)

ちゃぶ台の上で、版木を彫り始める。

習字用の文机は、刷るときに使いたかったので、別の場所で

彫りの作業を進めたかったのだ。

スペースがあると、創作活動がはかどってヨイわぁ。

下絵と全然ちがうけど、まあいい。

あの、宗像志功も、下絵は描くには描くが、彫刻刀で、バリバリと全く別な新しい線を彫っていったのだという。

気分は、世界のムナカタよぉ。(→大きく出すぎだぜ。拾いモノの版木のくせして。)

初回印刷。

うーむ。まあまあ。

木版画を久々に再開した割りには、いい感じ。

いつ以来かなあ。バリで、カマボコ板に、チューリップの版画を作って以来かなあ。

この手のを作るのは、1993年の年賀状以来だから、10年振りかもなあ。

なんで木版画を辞めたのかといえば、理由はたった一つ。

彫るのが疲れるから。(オジャラは、かなり硬い木を使っていたので、彫るのが大変で、メチャクチャ疲れるのだった。)

そんな理由で、辞めるなよ。

しかも、銅版画を始めてしまう。(オジャラは版画好きだった。)

浮気などせずに、精進していたら、もう少しマシに作れたろうになあ。

まあいい。これから先、何枚でも作れるのだ。

大工さん。廃材ヨロシクね。うふふ。

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