オジャラと銅版画

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Topix
出会い
大学時代、ブリヂストン美術館で、ピーターブリューゲル展というのを見に行きました。白い紙に、黒い線と面だけで構成された、美しい作品でした。

500年以上前に作られた銅版画です。

この頃、ロートレック展というのも見に行き、版画の合理性や、芸術性に大いに感激したものです。

゚ブリューゲルの版画集を、何時間も見つめて過ごしていました。
初体験
絵手紙などを初め、コツコツと、小さい作品を作っていました。万年筆なんかでも、線画の作品を描くようになり、ぜひ、版画にしてみたいと思うようになりました。

そんなとき、『文房堂』での、銅版画の一日講習という案内が目に飛び込みます。

どんなもんだろう。ちょっと、行ってみよう。

それが私の、銅版画初体験でした。ドライポイントの小品2枚を作成。『初回でこんなに作れるのなら、ドンドン作るしかないですね。』などと、ワケの解らないコメントを頂いたと記憶しています。

お教室
その後、会社を退職した私は、銅版画を本格的にスタートしたいと考えました。1999年の4月から、文房堂の銅版画のお教室2つに、同時に3ヶ月通い、小さいプレス機も買い、自宅でも制作をするようになっていました。

作田先生からは、版に対する思いやりを、小林先生からは、おおらかで豪快な作品作りを教えていただきました。

バリ島⇔日本
1999年の9月、バリ島に行くため、お教室は中断しました。

この後、バリ島と日本を行ったり来たりする時期があり、帰国の1ヶ月とかに、ボチボチとお教室に行って、新しい技法を習ったり、自宅で小品を作ったりもしていました。

バリ島への移転
1999年の11月、猫と、小さいプレス機を持って、バリ島に移転。

このときは、どの空港でも、プレス機が爆弾に間違われて、大騒ぎでした。

確かに、爆弾に似ているよなあ。

現地での銅板、硝酸、銅板の調達は、時間がかかりました。

バリ島での制作
2000年の6 月ごろから、バリ島で、銅版画を制作しようと考えましたが、問題は山積みでした。

紙が無い、硝酸の名前が解らず、手に入れられない、銅板をカットできない、ベンジンが無いなどです。

大量のグランドを飛行機に持ち込もうとして、成田空港で没収されたり、バリの粗悪な紙で印刷のテストを繰り返したりしました。

中断
バリ島での銅版画の制作は、結局2002年の2月で中断されました。

決定的な原因は、銅板の磨きが、自力で出来ないということでした。

銅板は、板金屋から、直接購入し、糸鋸などで自前でカットし、自分で磨くという作業なのですが、どうしても版に傷が残ってしまい、作品に影響してしまうからです。

紙の問題も深刻でした。今までは、シンガポールに行き、300kgの紙を購入していたのですが、ビザを取得したため、シンガポールに出国する必要がなくなり、恒常的な紙の調達が出来なくなったということもありました。

帰国
2003年5月、3年半のバリ島滞在を終え、全てを引き払って日本に帰国することになりました。
再開
2003年の8月から、銅版画のお教室を再スタートすることになりました。

家とアトリエとの往復で、誰とも話さずに制作活動をしているため、たまには生き抜きというのも必要だと思いましたし、作田先生に、まだまだ教えていただきたいことがあったからです。

お教室を続けていらっしゃる、アーティストの方も沢山いらっしゃいます。楽しい空間で、制作活動ができるのを、何よりも楽しみにしているのです。

何故銅板画なのか
私の場合、木版画の方が、適正があるような感じがします。

木版画の方が、いつも出来が良いのです。

それでも、銅版画を辞めることができないのは、銅版画の技法の多さだと思います。

他の版画や、他の芸術と比較して、銅板に凹面を作る方法には、本当にイロイロなアプローチがあり、まだまだ学び足りないと思わせてくれます。

版画を拝見して、『これは、どうやって作ったんだろう。』そんなことを考えなければならないのは、銅版画だけですね。

小さい四角の中に詰まった、魔法のような感じです。

毎日一人で作品作りを続けていると、同じ材料を使った創作活動に飽きてきます。そんなもんで、油絵、ぺん、印、銅版画、木版画など、イロイロな画材で、イロイロな作品を作るようになってゆきました。

ピカソも、そうやって、あらゆることにチャレンジしていましたよね。

油絵にきっと飽きていたんじゃないっすかね。

そんで、また、陶芸とか銅版画に没頭しては、また、油絵に戻ってくるという感じです。

新しい技法を開発したい
銅版画を作っていて、新しい楽しみに加わったのは、新しい技法を開発するということです。

銅板に何かを貼り付けて、腐食したり、何を使って傷つけたりするのかで、作品の完成度は、全く変わってきます。

そういう、職人的な楽しさ、新しいモノを作れる楽しさ、銅版画には、そんな世界もあるのです。

最初に線だけで版画を作ろうと考えていたアタシも、次第に、面や、凹を作る道具などへと、興味が広がっていきました。

まだ、発展途上ですけど、『これはどうやって作ったんだろう』って思わせる作品作りを目指したいです。

それでは
オジャラの銅版画制作日誌、作品はまだまだ稚拙ですけど、カワイイのも混じっていたりします。どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さい。

この辺りのストーリーは、電子画集 DEEP EDGEでも、お読み頂くことが出来ます。

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