*-*-* プロの画家って一体なんなのさ? *-*-* 

絵で食えている?

そんな人あんまりいないらしい。

『美の値段』池田満寿夫著の回にも、少し書きかけましたけど、話がそれちゃいました。

プロの画家って、一体どういう人たちのことを指すんだろう。

プロかアマかというのは、違うということのようでした。

カメラマンだってそうでしょう。

プロのカメラマンというのは、自分の撮影した写真だけで生活している人です。

商品の写真やら、雑誌のグラビアなんかを撮影している人たちです。

アマというのは、仕事があまり取れないので、新聞配達とか、土方などのバイトなどをしながらも、写真を撮り続けている人です。

カメラの世界は、絵の世界より厳しいですよね。

絵みたいに、結果に差が出来づらいですからね。

同じ場所から同じカメラで撮影すれば、どの人でも、同じような作品が撮れる。

恐ろしい世界です。

だから、人の行かないところに行ったり、危ない地域に身を置いたり、人が上らないところに登って撮影して、結果に差をつけようという話になるわけです。

それだって、物凄く差をつけられる作品を作れる人(=芸術にまで昇華できる人)はほんの僅かです。

画家の場合、プロというのはハッキリしています。

画廊が、一心同体になり、丸抱えでプロデュースしてくれるかどうかです。

そこまでいく作品を作るには、当然ある程度の力があり、実績もあり、コンテストの入賞経験もあるということです。

アタシも、この辺の構造を知らなかったのですが、画廊には2タイプあるのです。

●作家が画廊にお金を払って、展覧会をする場合

●画廊が経費を全部負担して、画家をプロデュースする展覧会。(売れたら、手数料を取るという流れです)

よーするに、『個展を開いたよ』といったって、自分で金を支払って展覧会をしているというのは、道楽だということのようです。

セミプロ的ポジションですね。でも、プロじゃない。中には作品を販売できている人もいるでしょうからね。

白黒がハッキリしているんです。

画廊が、『アナタの作品にはゲージツ的価値がありますから、是非、ウチで販売させてください』

というまでにならないと、プロではないということです。

まあ、そういう才能がありながら、絵で食えてないという作家さんたちも多いらしいです。

絵で食うというのは、物凄く遠い世界だというコトのようです。

知人に、『アタシは画家になることに決めた』などと話すと、絵で食えている人は、日本にはほとんどいないらしい。

などと、脅されました。

ホントです。

テレビ番組の画家の紹介なんかを拝見しても、物凄く時間のかかった作品を描く人っていますよね。

どうやって儲けているのかといえば、版画作品なんかにして、それを売っているという感じでした。

量産して、安価に売らないと、収益につながりませんからねえ。

本体が何千万円ですからね、せいぜい2-30万円で、版画を販売するということで、何とか食える可能性があるということでしょうか。

1メートルとか2メートルある大きい絵は、買う人もいないですしねえ。

展示スペースのあるビルなんかが、積極的に買ってくれる時代がくると、若いアーティストがもっと育つのですが。

私は、印象派時代の作家さんの作品を沢山みたり、雑誌を読んだりしていますけど、印象派の巨匠と言われている人たちは、みんな仲がイイ時期があったんです。

晩年は、それぞれ、自分の道を行き、もしくは早死にしたりして、必ずしも仲良しだったワケじゃありませんけどね。

少なくとも、仲がヨカッタ時代に、情報と技術の共有が出来ていたんです。

ここがスゴイ。

将棋の研究会みたいなもんですよね。(→なんだか、例がマニアックでスイマセン)

そうして、一番大切な、『独自の世界を築く』ということを重視し、そういった世界を築いた人の作品だけが高く評価されているのです。

印象派時代の作品がまとまって残っているのには、もう一つ理由があります。

それは、印象派の画家の作品をまとめて買う収集家というカテゴリーの人たちが何人もいたということです。

日本の場合、会社のシャチョーさんということで、会社の金で美術品を集めて、美術館に展示して、節税しているというスタイルです。

でもまあ、日本の美術館の場合、売りに出ると、物凄い高くても買ったりしますからね。爆。本来の機能から離れてしまっていますよね。

1億円あったら、アタシの絵なんて、全部買えるけどなあ。みたいな。汗。

美術館は、もっと若い人たちの作品を、安いうちに買い取って、有名になるまで見届けなくてはなりません。

そういう機能が、もっと付加されると、日本のアート界も、活力ある時代が来るんじゃないかと信じています。

どちらにしたって、日本の場合、この筋でプロと呼ばれている人は、画廊付きで、美術協会なんかにも入ってらっしゃる正統派に限られるというのは、なんか解ってきましたね。

画壇に入っているかどうかとか、そういうのも必ず聞かれますからね。

我流だというと、驚かれますけどね。

別に画壇に入らないと言ってるんじゃないんです。まだ、それほどの力が自分にあるとは思えないので、応募したりしていないというだけです。

展覧会を見に行くと、展覧会のレベルというのが良く解ります。

展覧会には、美術館が催す企画の展覧会というのと、一般から公募を募り、入選した作品を展示する、公募展というのがあります。どちらも有料です。

公募展は、作家さんが出展するのにもお金がかかります。1点1万円とか、そういう公募展もあります。センセイ方に、絵を見ていただくのに、金を払うということです。

まあ、会場を借りたり、人の手配をしたり、展覧会を催すというのは、日本では金のかかる話です。

そんなこんなで、見てほしいなら金を出せという話になるのだと思います。

1点10000円も取って、3000点も来るんだから、3000万円も集まるわけで、そのお金は、センセイ方に、審査料として分配されています。

センセイ方も、絵はたいして売れませんからねえ。

どこかで収益を得ないと暮らせませんものねえ。

それとは逆に、一般の画廊を廻ると、実際に売買されている作品というのを体感できます。

アタシにとって、一番勉強になるのは、大量に作品が売れている作家さんの展覧会を見に行った時です。

『おおっ。全部売れてる』みたいな世界で、それはもう驚きです。

そうして、そういった作品と、自分の作品との差を受け入れるというのが第一歩。

その差を縮めてゆく為にはどうすればよいのかを考えながら絵を描くというのがその次のステップになります。

それだって、アタシが、その世界を手に入れられるのかというのは、全く違う話です。

人と同じ絵を描いても仕方がないでしょう?

絵画制作というのは、オリジナリティと、瞬間表現。

短く言えば、そういうことになると思います。

ゴッホは、「僕の絵にサインは要らない。絵を見れば、僕のだとみんな解るから」

と話していたそうです。

そうなんです。

ピカソの絵だって、ルノアール、セザンヌ、モネだって、絵を見ただけで誰が描いたのか解るでしょう。

まずは、そういう、「オリジナリティのある作品を作る」というのが、印象派の画家たちに共有されていたのです。

印象派時代の日本の画家達も、そのことを知っていました。

しかし、独自の作品というのを作るのは容易いことでは無かったということです。

苦しんで絵を描いていた作家さんは多いです。

あの梅原龍三郎や、宮元三郎でさえ、自分の絵になってこないと苦しんだという話を読みました。でも、頑張って描き続けていたら、手に入れることができたんです。

独自の世界が築けているのかどうか。

アートの判断は、ここにあります。

評論家は、作品の独自性を、見抜く情報のデータベースがあるということです。

独自の世界を持っている。だから、この作品が優れている。

洋画や版画の評価は、少なくともそうなっているはずです。

日本画は、まだアタシの勉強不足ですけど、片岡球子なんかにはありますよね。

平山郁夫しかり。

ようするに、独自の世界を持てた人だけが、芸術家と呼ばれ、絵で食べられるということなのです。

それでも、アート界の研究を重ねると、絵で生きるというのは、容易くないということは理解できてきました。

独自の世界をもてるというだけではダメなんです。

独自の世界を持つというのは、作家としての最低ラインです。

その後に、動きのある表現力を身につけなければなりません。瞬間表現です。

この、独自の絵の、瞬間表現が極まったときに、その絵が芸術と呼ばれるのです。

有名になるには、絵をある程度沢山描ける能力。これも必要なんです。

沢山作れれば、イロイロな場所で展覧会を開けますし、デパートや美術館のように、大きい場所でもイベントを開催できます。

人が集まる場所で展覧会ができれば、売れる可能性だってあるかもしれません。

ところが、一年に20枚しか作れないと、展覧会は1年に一回しかできないということになりますよね。

まあそういうことなんですよ。

絵がイイというばかりでなく、沢山描ける。

もしくは、版画なんかで量産できる能力も必要なんです。

絵が販売できるかというのは、日本の場合、絵の良し悪しよりも、知名度に左右される場合が多いというのに驚かされますね。

デパートや美術館で展覧会をやれば、有名な作家だと勘違いしてしまう人も多いのです。

点数が多くて、ある程度の作品であれば、どの画廊だって展覧会を開いて、その人の絵を売ってみたいんです。

理由ですか?

売るほうも、どんな絵が売れるのかは解らないんです。

だから、1回位は試してみたい。

たとえば売れなくたって、仕入れて在庫になるワケでもないんですよね。

運よく、そんなに沢山描ける人の絵が、それなりに売れてくれたら、それはそれで、画廊も儲かるんです。

まあ、そういう感じでね、何だかんだ、人を集めることのできる画廊と共存できる能力。

これも大切になってくると思います。

どんなにイイ画廊がついても、やっぱり絵だけではという人だって多いと聞きました。

画壇の審査員になったりするのには、時間がかかりますからね。

会員になってから、20年もコツコツと実績やら、会を盛り上げる活動もして、やっと、そういうポストにつけるという実態がありますよね。

その辺、サラリーマンだって同じですけどね、画家には給料がありませんからね。

作品を売らなければならないですよね。

でもね、アタシの周りには、絵を買ったこと無い人ばかりなんです。

絵って、まだまだ遠い場所にあるなあと思わされました。

アタシはどうするのか?ですか?

今は、グラフィックデザイナーと名乗り、イラストとか、グラフィック、デザイン系の仕事を増やして、収益を得ながら、洋画の製作を続けてゆこうと思っています。

この線が、収益を得ながら、作品の力をつける、唯一の手段です。

年に一度、展覧会を開く程度では、絵が完売しても、そのお金だけで生活は難しいということです。

画壇などに所属し、画廊で展覧会を開くという方法だけでは、生活はムリということです。

バイトなどで生活費を稼ぐのか、出版系の仕事も恒常的に引き受けるのか、伴侶とか家族に支えてもらうのか。

そのどれかで、ある程度、知名度を上げてゆく活動を続けるというのが実態です。

優れた作品を作る能力があっても、絵を販売して生計を立てるのはムリという現実があるということに他なりません。

それは何を意味しているのかといえば、職業とは呼べないということなのです。

まあ、構造的な問題じゃないっすかね?

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